2011年3月11日、「東日本大震災」
あれから2年、
日本はどう動いてきたのか。
世の中はどう変わってきたのか。
社会はどう考えてきたのか。
それを考える上で「マス(mass)」というキーワードは、
大変重要なキーワードだと私は考えている。
あの大震災の最中、直後。
今までのマスメディアは機能しただろうか。
まったくの機能不全に陥っていた。
それどころか、原発が危ないと、
その地域から避難するメディアまでいたのだ。
逆に、テレビや新聞やラジオで流れくるニュースは、
沢山の個人から発信されたニュースだったのだ。
2011年3月11日、東日本大震災とともに、
既存のマスメディア支配は崩壊したのだ。
またその直後、地元住民同士のコミュニケーション手段は、
実際の紙媒体による、伝言板である。
壁一面にそれぞれが、安否の確認のメッセージを書いた。
また実際に、津波の避難に有効だったメディアは、
何だったか、
それはご近所どうしの声の掛け合いだった。
既存のマスメディアはもうそこにはなかったのである。
既存のマスメディアの時代はもう終わったのだ。
それから2年が経とうとしている、2013年。
2013年は新しいマスメディアが成熟しはじめた年ではないだろうか。
今まで大資本や特権に支配されてきたマスメディアが、
私たち一般庶民がそのツールを利用できる時代が到来した。
今この時代、様々なマスメディア媒体が安価で使用でき、
誰もがマスに対して情報を流布できるのである。
様々な意味で、大資本から個人への時代へと変化したのである。
そして2013年はそういった個人マスメディアが成熟しはじめ、
今後、個人マスメディアが中心の時代になってくるだろう。
実際に、私の日常は個人発信の情報を中心に動いている。
テレビやラジオ、新聞は見ない。
テレビの変わりに、個人生配信を見る。
ラジオの変わりに、動画サイトを見る。
新聞の変わりに、ブログニュースサイトを見る。
もうすでに私の身近に既存のマスメディアはほとんどない。
マスメディアのあり方が変われば、コミュニケーションも変わる。
既存のメディアなら、多くの個人が同じ情報を共有していた。
しかし、個人マスメディアの時代になると、
情報が多様化し、
個人同士の情報共有は難しくなるのである。
そこで考えなくてはならないのが、コミュニケーションの在り方。
今までは個人対個人というコミュニケーションだったものが。
これからはマスコミュニケーションというものが重要である。
これは少し複雑な構造だが、
すなわち特定個人とのコミュニケーションではなく、
個人レベルでマスコミュニケーションが行われる時代なのである。
それは、先にも述べた通りマスメディアを個人レベルで発信でき。
その上でのコミュニケーションは、
対個人ではなく、
常に対不特定多数という構図になり、
そういった個人同士のマスコミュニケーションが、
今後の個人のコミュニケーションのメインになると考えるのである。
それは勿論、現在進行形で。
フェイスブックやツイッター、ブログなどがそうである。
マスとのコミュニケーショとマスとのコミュニケーション。
これが個人と個人のコミュニケーションに置き換わるのである。
しかし、こういったコミュニケーションを得意としない人も多い。
また、こういったマスへの情報拡散というのが上手な人もいる。
そこで、情報社会の二極化が生まれてくるであろう。
この二極化は経済二極化とも似たものになってくるであろう。
しかし、このコミュニケーションの変化は止められないのである。
それは、人間が進歩するという事は抽象度が上がるという事で。
コミュニケーションの抽象度が上がったものが、
個人間マスコミュニケーションなのである。
今はまだ、個人間のコミュニケーション能力などを問われる時代だが、
これからは、
個人間のマスコミュニケーション能力を問われる時代が、
必ずやってくる。